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flowerスカイステージで『ポーの一族』千秋楽映像を見ました。
みりおのいつもどおりほんわかしたあいさつを見て、
エドガーが「明日海りお」に戻ったような気がしました。
小池先生の念願を存分に叶えてくれたのではないでしょうか。

エドガーはいた

プログラムに載っている小池先生の言葉の中に、
「エドガーはいた。明日海りおである。」
という印象的な一節があります。
美しさ、神秘性、純粋さ、魔性、すべてを兼ね備えているのだとか。

スカピンのときだったか、小池先生はみりおについて
「我々世代のアイドルのような……」と話していて、
「ファンなのかよ!」と笑ってしまいましたが、
役者として気に入っていたことは間違いないでしょう。

しかも小池先生が若かったころのアイドルというと、
今と違って現実離れしたような魅力を持った人々だったと思います。
みりおの持つそんな雰囲気が、
エドガーという不思議な存在と結びついたのかもしれません。

わたしも好きな本やアニメについて
「これを宝塚でやるとしたら誰々にやってほしいな」
なんて思うことがあります。

小池先生はそれをかなえることができる立場です。
好きな作品にぴったりな生徒が現れて、感激もひとしおでしょう。

明日海りおさんのエドガー

わたしが劇場で観劇する際は、
意識的にトップスター以外を見るようにしています。
トップスターアングルはスカイステージで見られるため、
劇場で観劇する際はほかの生徒を見ておこうと思うからです。

しかし花組『ポーの一族』はエドガーを見たくなる舞台でした。
エドガーの存在がこの作品の核になっていて、
その役割をみりおがしっかり果たしてくれたように思います。

もともと明日海りおさん自身がこの世の人ではないような、
不思議な存在だと思っていました。
フェアリーってこういう人のことを言うんだろうなという感じ。

トップスターとしてベテランの域に達しつつも、
まだ下級生のような若さもあって、
14歳の姿で成長が止まっているという設定にも納得でした。

ポーの一族という作品

『ポーの一族』をはじめて読んだときは意味がわからんと思いましたが、
全貌が見えてからは何度か読み返しています。

Wikipediaを読んでようやく意味がわかったので、
ネットのない時代だったらわからないまま終わっていたかもしれません。

ポーの一族は2018年のいまもどこかで生きているのでしょうか。
いまの時代、SNSがあるのでバレると大変そうですね。
そんなことを考えてしまうほど、
花組『ポーの一族』はマンガの世界観をリアルに描き出した作品だったと思います。

それまでまったく知らなかった萩尾望都先生にも興味を持つことができて、
新しい世界に触れるきっかけとなりました。

Amazonと楽天ブックスでは、冒頭30ページが無料で読めます。

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